【隙あらば自分語り】大学入試の思い出

皆さんこんにちは。タマスラです。

 

今回は自分の大学受験の時のことについて語りたいと思います。(自分語りばっかなので不快に思われたらブラウザバックしてくださいね。あと、自分語りなので文字数多めになります)

 

まず、私は元々、神戸大学経済学部を第一志望にしていました。センター試験の得点率が8割いるため、高校に入ってからはひたすらその大学に受かるために勉強三昧でした(その後、受験の反動で大学でアニメにハマって堕落した生活を送ってました)

 

元々、自分の学校はいわゆる自称進学校で、上位層はだいたい旧帝クラスに行くようなところでした。そのため、入学してからは、その層に入るために、どの科目も抜かりなく勉強して何とか食らいつこうとしました。成績は何とか上位層はキープし、頑張ったら行けると確信していました。ちなみに高二の冬の模試では学年3位でずっとE判定だったその大学もD判定を取れました。

 

しかし、高三の夏、なかなか模試の成績が伸びず志望校を下げざるを得ないことに…。原因は当時、地歴公民で選択してた倫理政経があまりにも苦手だったことと、文系なのに国語が出来なかったことでした。神戸大学経済学部は、私が受験した時は地歴公民が4単位科目でしか受けることが出来ず、当時選択科目として開講されてたのが日本史or世界史と倫理政経しかなかったので、やむを得ず倫理政経を選択しました。高三の夏ならば、まだ頑張ったら行けたはずだと思いますが、その倫理政経(特に倫理)が本当に覚えられなかったことから逃げたかったのです。結果、日本史と倫理政経の代わりに現代社会(ほぼ勉強せずに得点できた科目)で受けました。また、2次試験で国語が要った為、国語を避けられて、2次試験が得意の数学、英語で済むとこがベストだと思い、諦めました。もし、最後まで国語と倫理政経から逃げずに勉強していたら第一志望に行けたかもしれないとは今でも思います。

 

センター試験本番は緊張しました。これでもかってくらい。たぶん人生で一番緊張したと思います。結果は日本史が自己ベスト9割で、8割を狙っていた数学と英語が事故って7割。更に国語が半分ちょっとという(自分の受けた年は国語の平均点が過去最低の年でした)、なんとも言えない結果に終わりました。

いざ、前期・後期試験の出願となった時は滋賀大学兵庫県立大学香川大学で悩みました。どこもA判定ないしはA判定に近いB判定だったため、自信はありましたが最初は2次試験が英語だけで済み、一人暮らしをしたかったため、香川大学経済学部を出そうと思いました。しかし、神戸商科大学からの流れを汲み、経済学部は関西地方で名門だった兵庫県立大学の方が就職がよかったため、結果的には兵庫県立大学経済学部に出願しました。

 

そこからは国公立2次試験(2次は数学と英語)、私立の対策に加え、センターあり推薦で岡山大学経済学部(センター試験のボーダーが7割5分くらい)も出したため、面接対策もしました。センター試験終了後も学校に行き、面接対策と赤本で私立と国公立対策の勉強をしました…。まさに怒涛の忙しさ…。今までの人生で一二を争うレベルでピリピリしていたため、推薦やAO入試で受験が終わってワイワイしていた人に対して、イライラしていたのを覚えています。

 

その後は滑り止めで受けた京都産業大学に合格し、関西学院大学と挑戦枠で受けた同志社大学には落ちました。しかし、岡山大学経済学部に合格をし、結果そこに進学するのを決めて私の受験生活は終わりを迎えました。終わった時は、受験からの解放感から、パーッと遊びましたし、2次試験の対策しなくていいとわかった瞬間、赤本を放り投げてやろうかと思いました(笑)。

 

ちなみに、結果的に留年とかをすることなく、4年で卒業しました。

 

受験生の皆さんはあと1ヶ月後に迫るセンター試験に向けて勉強を頑張っていると思います。もちろん第一志望に受かればそれでいいのですが、私のように第一志望に受からなかった(というか届かず諦めた)ということもあります。もちろん入学後は後悔もありました。しかし、そこで私は一生もんの友達との出会いがありました。今でも交流は続いていますし、この大学でよかったと胸張って言えます。なので、どういう結果になろうと収まるところに収まったと割り切ったらいいと思います。そこで自分が勉学や部活サークル活動、アルバイトや留学などやりたいことを充実させてください。大学がどこになろうと充実したもん勝ちです。

 

ここまで書いてたけど受験生の人読むんかなあ…。まあいいや。受験生の皆さん、ファイト!